卯月のこと
1日 冷たい強風の朝。着替えのため2階の部屋に入ったら、箪笥の引出しが全部少しづつ開いてる。
すわ、どろ……、いえいえ、そうではありませぬ。夕べ、今日何を着ようかと物色していて、そのうち下に降りてしまったんだった。
ことほど左様にだらしない私。気持を改めなければならない年度始めなのに……。
シホコさんからのお誘いで、いそいそと出かける。野川沿いの菜の花のきれいだったこと!
美味しい手作りのご馳走を頂いて、帰りはバスツアー気分でお花見を堪能した。
 帰りは成城学園でバスを乗り換え、二子玉川までのんびりバスツアー。
そこから電車で、あっという間の小さい旅。楽しい一日だった。
 いただいてきた初ものの筍で、夜はことさら美味しい食事だった。

 暮れから咲き続けていたシクラメンの最後の花を、切り花にして玄関に飾った。


2日 コンサートの楽譜つくりは、結局本格的になって、今日も4人のユトリーバのお友達が、夕暮れまで手伝ってくださった。
 合奏の練習も兼ねたので、我が家は8人のお客様。昨日から仕込んでおいたビーフシチュー、クニコさんから差し入れのおにぎりなどで、今日もにぎにぎしくも、楽しい一日だった。新しい楽譜が45冊出来た。

3日 うらうらと暖かく、花日和となる。伊豆の借金を借りたままで気になっていたので、マチコさんを呼びだしてついでにお花見。
朝10時半に新橋の玉木屋の前で待ち合わせ、浜離宮から浅草まで隅田川を船に乗った。
 浅草はものすごい人出で、外人さん、ツアー客、家族づれ、そしてカップル……でいっぱい。
 たっぷりと遊んで、都営地下鉄で4時過ぎに帰宅。こういう日は、坐骨神経痛が起きないんだな。
 つまりストレスをためなきゃいいんだ、と悟る。
 船の艫(とも)で日にあたって、夜になって顔がひりひりする。

5日 朝5時半に一旦起きたけれど、ベッドの中で本を読んでいるうち、眠くなって二度寝をしてしまったら、こわ〜い夢を見た。コンサートの始まる時間が迫っているのに、何故か普段着で外にいる。しかもモンペ!
(ちなみにこのモンペは、中国に行った時、雲南省の藍染工場で買ってきて、現実に毎日愛用しているもの。だいぶくたびれているが愛着があって捨てられない)。
 どうも新宿の高層ビルの中にいるらしい。私がそのビルの何階かに住んでいるという設定。
 着替えに帰ろうと思っているが、私の家がどこだか判らない。
エレベーターに乗ったら、それが横に走りだして、見知らぬ場所を走っている。
そのうちにコンサートが始まる時間になってしまって、焦りまくってしまう。
 ユトリーバコンサートが近づいて、少々ストレスを溜めてしまったから、こんな夢を見てしまったらしい。
目が覚めたら体中痛くて、心底「ああ、夢でよかった!」と思った。

8日 豊洲に行って2か月、4月に入って新宿の閉鎖とともにたくさんのメンバーが、豊洲に大移動したことによって、豊洲メンバーの新宿いじめが起きている。あちこちからそのような声が聞こえてくるが、私も数回嫌な思いをしている。
 ある時、プールの中で「お化粧落としてないでしょう?」「落としたけど…」「そう?口紅が残っているわよ。プールの水が汚れるからね」……
 ある時、がらがらのプールの中で、私は5人しかいないプールの中を、友達と歩きながらしゃべって居た。
近づいてきたおっさん、「ちょっと、あんた字読めないの?並んで歩いちゃいけないって書いてあるだろう?」「あら、ごめんなさい」 
そこで注意書きのボードを読むと、「混雑時は…」と書いてあった。
 新年度になって人数が増えたことで、猛烈な抗議がスポーツクラブに入っているという。
 新宿でも近くの大手が潰れて、人数が急激に増えたことがあったが、すぐにみんな仲良くなったのに……。
どうやら豊洲は典型的な島国なんだ。と、今日もストレスが溜まったまま帰ってきた。何のためのプール通いなんだか。ものすごい風雨で傘が壊れた。
 10年間咲き続けているセントポーリアが、今年も咲いてくれた。

9日 コンサートの最後の練習とユトリーバの例会が重なって、楽しくも混雑した一日。14人がリビングルームにすし詰めになった。終わってから気がついたことだけれど、今月の例会は70回目だった。80回目に当たるのは、来年2月。
次は忘れないようにしなければ。
 今回のコンサートでは、いろいろな意味でストレスを溜めている。自分の気持ちが人に伝わらない、ということが、こんなに重圧としてのしかかってくるとは!でも、ユトリーバメンバーの人たちがいろいろな意味で応援して下さるのが嬉しい。
何としても良い会にしなくては。
 昨日からの偏頭痛が治らないのは、冬に返ってしまったような、寒さのせいもあるらしい。目下の課題は、この頭痛を治すこと。
それまではおとなしくしていなきゃ。

12日 どうやら楽譜が整うメドが見えて、ちょっとほっとする。
 積み上げられた楽譜を見ていると、気持のバランスが崩れそうな気がして、買う物もないのに、街に出たらなんだか気が晴々として、私の脳みそは単純な構造なんだな、と思う。
 この3日間家に籠って仕事をしていたので、肩こりびんびんになってしまった。
 庭の山椒の新芽が出たので、今年初の佃煮を作った。山椒を食べると、気持ちまでぴりっとして、小気味がいい。
 植木屋さんが思い切りよく枝を払ったので、お隣から丸見え。だから目隠しに毎日シーツやテーブルクロスを洗うことにした。
裸になった金木犀の間から、お隣の蘇芳のピンクが美しい。

14日 朝デイホームに行ったら、もうみんな歌を歌っていた。今日はメンバーの皆様のほうが元気らしい。私はといえば、朝から朦朧状態。
変わってほしい程だったけれど、30分ぐらいの間にだんだんとエンジンの回転が高まった。
 午後からはノリコさんとミツコさんが、楽譜つくりの仕上げに来てくださった。
二人とも私の娘ぐらいの年齢なので、強力な助っ人で、あっという間に仕上がった。
 夜はさぼって、近くのお寿司屋さんから、海鮮ちらしなるものを買ってきて済ませた。

15日 何だか冬に戻ったようなお天気が続いて、体調が狂ってしまう。
今日はトドの会のお食事会で、牛込河田町の「小笠原伯爵邸」に行った。3月に解散して以来の顔合わせ。
 それにしても、ここはなんと行きにくいところなんだろう。でも行ってみて、ああ、と思いだした。息子が通学していた高校の近くなんだ。
と、言っても、私は進路相談と卒業式の2回しか行ったことがなかったけど。
 小笠原伯爵という方の下屋敷だったというこの邸宅は、スペイン調にイスラムの香りの漂う落ち着いた建物で、聞けば昭和2年の建立だという。
昭和2年といえば、婚家を父が建てた年だ。戦前の東京の民家の様式を残していた我が家だったが、惜しまれながらも保存する財力がなくて、壊してしまった。
 ここも、永いこと放置されていたのを、東京都が買い取ったということだった。
 充分に心のこもったメニューに満足してから、神楽坂を散歩して、飯田橋で解散した。次回の顔合わせは5月20日の河口湖。











17日 朝文旦の皮でジャムを作ったが、さらしすぎてペクチンが足りない。仕方なくゼラチンを少し加えて纏めた。 

 レッスンが始まる直前に、姪のマキちゃんからお呼び出し。仕事が終わってから近くで開催しているお友達の展示会にいく。
 義妹のヨーコちゃんも合流して、久しぶりにコーヒーを飲んでたっぷりとおしゃべりの花を咲かせた。
 終り頃に姪の長男の彼女が来て紹介されたが、姓が私と同じ、名前が甥の娘と同じとあっては、ややこしいことこのうえない。
 おばばは頭が混乱しますがな。その彼女が作ったという展示品の大島紬をあしらったベストが頭にチラついて、心が揺れ動いている。
 ちなみに展示会をやっているお友達と、長男の彼女はもちろん別人。つなぎ役は姪らしい。
 「宝くじが当たったら買う」、というと、姪が「買ってないんでしょ?買うのが先、さき」、という。
結論、宝くじを買う趣味はないので、これは買えないな。夜になってたくさんの雨。

18日 コンサートの準備で心身ともに耗弱状態なので、今週はプールに行くのをやめる。
 今回ほど疲労したのは初めて。それほど意志の疎通にギャップが生じたということ。自分の気持ちが相手に伝わらないもどかしさで、疲れてしまった。でも思えば思うほど、ユトリーバのメンバーの方たちは素敵!
このメンバーのおかげで、ここまでやってこられたことを、心から感謝している。

19日 生まれて初めてといっていいくらい、何にもしないで一日が過ぎてしまった。お天気が悪いこともあって、一歩も外に出ず、したがってお財布の紐も1ミリたりとも緩めず、こんな日がたまにあってもいいな。
 一切れの鰆の焼いたのを、旦那と半分ずつと思っていたら、娘の所になついている猫が、ご飯をねだりに来て、仕方がないのでおすそわけする。
出かける時はえさを置いていってほしいもんだ。
まあ、私はメタボ気味だからちょうどよかった。
冷蔵庫の掃除のつもりで、ご飯に納豆、サツマイモの煮たの、たくあんという、江戸時代なら庶民の大御馳走という献立で、晩御飯を済ませる。美味しかったなあ。

20日 朝のうち雨模様だったが、午後になってカラリと晴れる。山椒がだいぶ伸びたので2メートル以上の高さの枝をおろして、笊いっぱいの葉をあらめと佃煮にする。これが我が家の春の大事業なのだ。
 3日前に作った文旦のジャムの瓶づめがやっと終わって、今度は山椒と格闘だ。でもとってもやりがいのある仕事。たくさんの人が待っているのだ。
これがすんだらラッキョウ、梅としばらく楽しい仕事が続く。
 午後美容院に行った。ドライヤーの熱風が出なくなったので、1個譲ってもらう。

22日 今日も山椒の佃煮つくり。 
 夜になって姪のマキちゃんが、車で外のリサイクルの籠をばりばりけ散らかしながら、頼んだベストを持ってきてくれた。
散々考えて思いつかなかった明日の昼のコンサートの服に使えるものを、17日の展示会で見つけて、少々高かったが思い切った。
 マキちゃんのお友達の、ウルちゃんの商品だけれど、彼女のご実家の作による、奄美の大島とシルクで作られているこのベストを、とっても気にいった。
アンカフェでフレッシュフルーツのタルトを買ってきて、隣の娘も呼び込んで、夜のティータイムを楽しむ。
 明日の伴奏を練習しているところに、入ってきたマキちゃんが、「なによ、泥縄ジャン?」といってケラケラ笑う。
言われた私は、懐メロの曲の伴奏に手こずって、そのまま本番に突入することになりそう。やれんなあ!
帰りがけに、「あなた山椒の佃煮たべる?」「いらないよ、そんなもの、食べないもん」(ああ、よかった!貴重なんだよ)

23日
 からりと晴れる。コンサート日和。9時半ごろからメンバーの方々が現れて、音だしが始まる。
 今日は当初48名の予約が入って、どうしようかと思ったが、本番はどうにか43人でちょうど良い収まりとなった。
 なにかと気をもんだ今回のコンサートも、始ってしまえば、我ながらとことんのめりこんでやっている。
 さすがに夜になったらぐったりと疲れが出たが、頂いた山のような蕗を無駄にしたくなくて、深夜までかかって煮た。

24日 ついに来ました、年金特別便。こういうものにとことん弱い私は見ただけでドキドキしてしまう。
 夫が最初からの領収書と書類を取っておいてくれて、この問題は解決。こういう時、この人と一緒に居てよかった、と思うんだな。
 銀行から、長期に渡ってほったらかしにしていた通帳についての確認がきた。
そこで電車に乗って銀行に行き、ついでに引き出したお金で、テレビを買いに行った。
これは、年金調査についての、夫へのお礼のつもり。なんたって我が家のリビングの古テレビは、マキちゃんにいわせれば、「なにこれ、これでもテレビ?」と言わせるほど、画面が真っ青なんだ。

25日 朝から一念発起してリビングの模様替えをする。めんどくさがる旦那を奮励叱咤して、サイドボードと仏壇を移動。
サイドボードは中のものを動かさなければならず、ついでにガラス類をピカピカに磨き上げた。
 気持ちがいいので、思わず念が入って、なんでこんな気持ちのいいことをもっと早くにやらなかったのかしら?と……。
でもこんな大変なこと、絶対やらないに決まっている。
 これでテレビの置き場が決まって、安心したけれど、腰痛というおまけがついた。

26日 明日お友達がみえるので、お昼に何を御馳走しようかと考えて、そうだ!久しぶりに五目ずしを作ろう、と思い立った。
 早速どんこ椎茸を水に戻す。今日は腰痛なので、ほかのことはなんにもやらないことにする。
その代わり、ショッピングカーをガラガラと引っ張って野菜の買い出し。
一日かかって、材料の下準備万端が整った。
 不思議なことだけれど、私が腰痛になると、何も言わないのに、旦那も腰痛。
コンサート以来胃の具合がすっきりしないのだけれど、旦那も食欲がないという。
そんなに仲良しというわけでもないのに、これはいったい何?
二人して並んで胃の薬を飲んでいる。

27日 大事なお友達のF子から老舗のかば焼きが届いた。コンサートの慰労とメールで知らされて、こんな嬉しいことってない。
もつべきものはお友達。包みを開いているところに隣の奥さん(ムスメ)が現れたのは、匂ったのかな?
 3つ分けてあげる。これぞ実家の威力!と私だけが思っている……のかな?
夜、現れた息子と私たちで、おいし〜く食べた。そういえばかば焼きは随分久しぶり。
やっぱり美味しいわ。

29日 ゴールデンウイークに入ったらしい。でも、私たちにとってはどうということもない日常。
 まだ腰痛が治りきっていないので、新しく届いたテレビを楽しみながら、お人形作りに精を出す。
今日生まれた子は足が短くて頭でっかち。どうみてもスタイルが良くないので、せめて顔を可愛くしてあげよう。
 夕方スーパーで見事なソラマメを見つけたので、冷蔵庫に眠っているハムとズッキーニ、にんにく、それに玉葱でパスタを作って食べたら美味しかった。
 今夜のおかずはパスタと、ミニトマト、ブロッコリーをオリーブオイルでひっかきまわしてバジルをかけたもの。
 夕方植木を買ってきた娘が、玄関に「もっこうバラ」のプランターを置いて行った。
子どもたちからの、少し早い母の日のプレゼントだという。
この花は私がとても欲しかったものだけれど、話したことがないのに、どうしてわかったのかな?
嬉しくて、夜になってからも何度も見に行く。

30日 あっという間に4月が駆け抜けていった。今月はコンサートというおおきなストレスを抱えてしまったので、振り返るとなにも残っていないような気がする。
 世の中は、暫定税率だの、後期高齢者だのと、大騒ぎしているけれど、どれもこれも煩わしい。日本という国がダッチロールしているなかで、アホ面をした「せんせい」たちが、尤もらしい御託を述べているのを、どうするべくもなく見ていて、ふと、これは日本が平和すぎるのだという気にもなってくる。
 そんな中で、ひそかに固い決意をしたのは、もうお医者さんにかかるのは、最大限やめよう、ということ。
この上お金を取られるよりは、自力で体調管理を試みるほうが賢明。大体病院にいくのは嫌いなのだから。
それに後期高齢者などという、ありがたいレッテルを張られるくらいなら、もはや死んでも惜しくない歳だわ。

 

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